2010年12月19日

パッチアダムス

パッチアダムス、
1996年公開のアメリカ映画です。
実話をもとにした映画になっています、

ストーリー
自殺未遂の果て、精神病院に入院したアダムスは、
ジョークで患者たちを笑わせ、
心を癒す能力に目覚めます。
そんな彼に富豪で天才病(?)の患者アーサーは
「パッチ(傷をなおす)」というニックネームをつけます。
2年後、パッチは精神科医を目指し、バージニア大学医学部に入学します。
同級生トルーマンと白衣を着て病院に潜入し、
患者たちの心を掴んでいきます。
パッチの笑いの療法が次第に功を奏で、
ベテラン看護婦たちも温かな目で見守ってくれるようになります。
しかし、学部長のウォルコットはパッチを快く思わず、
放校処分を言い渡す場面も。
常に成績がトップクラスのパッチに学長が理解を示し、
学校に残ることが許されます。
一方、冷淡な同級生カリンへ思いを募らせるパッチは
彼女の誕生日を温かく祝い、いつしか心を通わせるようになります。
パッチは病院や医療制度の理不尽さから
無料の病院を作りたいと考えるようになります。
精神病院で患者同士として出会った富豪のアーサーの出資により、
夢が現実となります。
トルーマン、カリンと共にさまざまな患者を無料で受け入れてきましたが、
そこから大きな事件が………。

感想
病気は見てのとおり、気の病(やまい)と書きます。
患者の患も見ての通り、心に串が刺さった状態です。
この漢字だけを見ても病気やけがで心に与える影響は大きいということがわかります。
心を癒すことが体に改善を与えていく事は、
臨床的にも大きく感じるところです。
パッチは様々な工夫をし、
患者さんの心に働きかけます。
それがすごく奇想天外であり、笑えるのです。
患者さんの表情が変化していくさまがよくわかります。
当然のことですが技術だけではなく、
患者さんとどう向き合うか、
どのようにコミュニケーションしていくかが大切であることを再認識させられます。

映画の最後にアダムスが医療とは何かを話すシーンがあります。
その一つに
「死から遠ざけるだけでなく、生を高めるのが医療だ」。
この言葉、
リハを携わる私にとっては、
グッとくる言葉でした。
マイナスをできるだけゼロにもっていくリハだけでなく、
ゼロからプラスに変化させていくリハ、
その大切さも教えられた映画でした。
posted by リハ技師 at 15:10| 山形 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月14日

奇蹟の人

昨日のブログの最後にヘレン・ケラーの言葉を載せましたが、
今日はそのヘレン・ケラーの「奇跡の人」の映画紹介をします。
ヘレンケラーの自伝は小学生の頃に図書館で読んだことがあり、
最後の場面はなんとなく覚えていました。
本で読んであらすじは大枠では知っていたので、
それ程期待していなかったのですが………。
しかしサリバン役のバンクロフトとヘレン役のデュークの壮絶な演技に
ただただ圧倒されました、
また奇跡の人がヘレン・ケラーそのものと思っていましたが、
この映画を見てサリバンがその奇跡の人だと感じ、
サリバンそのものに対して関心を強めた映画になりました。

ストーリー(あらすじがほとんど書いてあるので注意!!)
生後19ケ月で、熱病により目が見えず、耳も聞こえず、言葉も喋れなくなってしまったヘレン。
時が流れ、ヘレンは7歳になっていました。まったくの闇に閉ざされた世界で、世の中がどうなっているのか、何がどうなっているのか、自分が何なのかまったく訳が解からないような状態なのです。ヘレンの世話をする家庭教師を依頼することを決意した母ケイト。
手紙の依頼で家にやってきたのは、黒眼鏡をかけたアニー・サリバンでした。サリバンはボストン盲学校の卒業生で、幾度かの手術を受けやっと視力が快復した女性でした。
食事の時、サリバンはヘレンを観察していて驚きます。ヘレンは歩き回り、人の皿から勝手に手づかみで口に入れて食べているのです。誰もそれに対して何も反応しません。サリバンの皿にヘレンが手を伸ばした時、たまりかねてサリバンはヘレンの腕を掴んで立ち上がりました。
それをみて父アーサーはサリバンと口論になります。そしてセリフ サリバン:「暴君に家中が支配されているのですよ、甘やかすのは哀れみのはきちがえです、同情が何になります!」アーサー:「雇われた身で無礼な!」サリバン:「6年間も同情しか知らなかった子が哀れです!」
そして食堂から皆を外に出し、サリバンはヘレンと二人になります。食事という基本的な躾を学ばせるために壮絶きわまる指導なのです。
最終的にサリバンは自分の皿で食べさせ、ナプキンもたたませました。
サリバンは敷地内の森の中に恰好の小屋を探し出してありました。その小屋でヘレンと二人きりで生活しながら教育したい、と訴えたのです。父アーサーは反対でしたが、母ケイトの頼みもあって、やむなく2週間という限定で許可しました。
教師と生徒、一対一の戦いが始まりました。行儀はよくなってきましたが、サリバンは物に言葉があることを何としてでも理解させたかったのです。繰返し繰返し指文字の練習。「ビーズ」「木」「鳥」「水」………。サリバンはそれらをヘレンに触らせ、指文字で教えます。小川の中に座り込み、「水」「WATER」と教えます。ヘレンは指文字の覚えはいいのですが、それが何を意味するのかが理解できません。サリバンは自分の無力感をかみ締めていました。
2週間がたちました。迎えに来た両親にサリバンはせめてもう1週間の延長を申し出たが聞き入れられませんでした。両親はヘレンの行儀の良くなったことに満足しています。
その日の夕食はヘレンの帰宅祝いでした。ヘレンはサリバンと二人きりの生活と打って変わって我がままほうだいに戻ってしまいました。以前と同じように手づかみで食べたり、水さしを倒したり…。
それを見たサリバンは容赦しませんでした。今日は特別だからと、ケイトの止めるのを振り切り、ヘレンの手を取って外の井戸へ向かいます。水さしにこぼした水を入れるためです。
サリバンが井戸をこぎ、水を出しました。ヘレンの手に水がかかります。
そこであの名シーンがでてくるのです。

感想
サリバンの鬼気迫る執念とも思えるヘレンに対する指導。
これはサリバンが育った環境にもあったかのように思われます。
映画の中でサリバンの小さなころの環境(施設で育った)が語られます、
その中で印象があるのは、
サリバンは死体置き場で遊んだというもの、
父アーサーがヘレンに施設を考えていると語ったときに、
施設がどれだけひどいかの反論として言ったものです。
その当時の施設環境の悪さがうかがえますが、
サリバンはその環境に負けたくないという強い意志がありました、
しかし足が悪く姉に依存している弟は体が弱く、
学校で学ぶという事もなく小さいころに亡くなってしまいます
サリバンはその弟とヘレンを重ねて見ていたようでした。
弟のようになってほしくない、
まるで贖罪を行っているかのようなヘレンの対応、
ヘレンにこれからも生きてほしい、
それもただ生きているだけでなく、
活き活きと力強く生きてほしいと考えたのは自然の事のように思えます。

サリバンは物に名前がある事を何回も何回も繰り返して指導します。
そこがやはり出発点でした、
物に名前があるという事が分かれば、
学習する楽しさはかなり広がっていくでしょう。
そしてもっと様々な事を学ぶことができ、
そのことが社会で生きていける力になる、
そう考えたのでしょう。

後年、ヘレン・ケラーは様々な障害を持ちながらも、
世界各地を歴訪し、
歴史に名が残るほどの身体障害者の教育・福祉に力を尽くしました、
まさに奇跡の人です、
しかしその奇蹟を導いたのはサリバンでした、
サリバンとの出会いがなければヘレン・ケラーはいませんでした。
映画ではその役をバンクロフトが好演しています、
アカデミー主演女優賞に輝いたのは当然といえる演技だと感じました。

映画は白黒ながら古さを感じない、
密度の濃い映画です。
まだこの映画を見ていない人は、
どうぞご覧あれ。
posted by リハ技師 at 08:50| 山形 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月29日

最高の人生の見つけ方

久しぶりに映画紹介。
「最高の人生の見つけ方」
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの2大名優の競演。
監督は、「スタンドバイミー」を手掛けたロブ・ライナー。
この布陣だけでもかなり期待させられる映画でしょう。

簡単にあらすじをいうと、
離婚を繰り返し現在は一人の大金持ちのジャック・ニコルソンと、
若いころに自分の夢はあきらめてはいるが、
幸せな家族に囲まれているモーガン・フリーマン。
この2人が病気になり、
同じ病室へ。
そして2人は自分の命が長くない事を知ることになります。
その時に棺桶リスト(死ぬまでにやりたいことリスト)を2人でつくるのです。
そして実際にそのリストを達成するために2人は動きだします。
そして2人は………。

最終的には
落ち着くところに落ち着く結果になり、
意外性はないものの、
安心して見られる映画です。
(ただ「世界で一番美しい女性にキスをする、というリストの
エピソードは意外でしたし、
ほろりとさせられた粋な演出でした)

自分の寿命を知ったらどうするのか、
その時が来ないと実感できないところではあります。
ただこの2人のように積極的に動くことはなかなかできないと思います。
アメリカ人のポジティブな国民性が現れているような映画という印象も持ちました。

死ぬときに、
なるだけ後悔したくないという点は共通の思いのような気がします。

末期がん患者の2人が主人公の映画ながら、
単純に楽しめる映画となっています。
それほど重い映画ではなく、
セリフも映像も明るく描かれています。
まずまず良くできている佳作です。
みなさんもどうぞ。
posted by リハ技師 at 12:55| 山形 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月24日

潜水服は蝶の夢を見る

潜水服は蝶の夢を見る
フランス映画
2007年上映(カンヌ映画祭監督賞)

あらすじ
ELLEの編集者ジャン=ドーが起きると、
そこは病室。
そして何日間も昏睡状態で、
右目以外は全く動かないことを知ります。
診断名は重度の脳梗塞、そして閉じ込め症候群。

映画では理学療法士と言語聴覚士がでてきます。
両方とも美人すぎるところが解せないのですが、
まぁ映画なので致しかたないでしょう。
この映画の前半では言語聴覚士が活躍します。
目の瞬きだけでコミュニケーションするやり方を教えるのです。
(以前のNHKの番組でもこのやり方はしていました、
ただ機械をつけて音を出すやり方でした)
最初はジャン=ドーは自分を憐れんで、
そのようなコミュニケーションも真剣にできなかったのですが、
言語聴覚士とのある関わりから
考えを転換するようになります。
麻痺していないものは左目だけではない、
想像力と記憶がある………、と。

ジャン=ドーはこの病気になる前に、
出版社に本を出す予定になっていました。
ジャン=ドーは出版社に本を出すことを決意、
言語聴覚士が出版社に電話をかけるのです。

そこからの後半のストーリーは映画を見てもらえればと思います。

感想
記憶と想像力、そして世界につながる左目の動き、
私だったらどう感じるだろう、どう考えるだろうと
つい思いながらみていました。
そのように考えさせてしまうのは、
カメラの動きがジャン=ドーの視線目で流れていることが大きいかもしれません。
ちょっとした閉じ込め症候群の疑似体験をしているような感覚におそわれました。
当人の大変さはリアルな感覚では分かりませんが、
障害をもつ人がこのようなところで苦しんでいるのかという事実は
この映画でわずかではありますが理解できました。

人によっては、
そういうのは理解したことにはならない、
そのように言うこと自体が偽善ではないかと言う人もいるでしょう。

しかしそれこそ自由な想像力で素直にそう感じてしまうのです。


もう一つ感じた事は、
生き甲斐を感じられるようなそんなアプローチを
リハは提供しなくてはならないということです。
(言うことは簡単なのですが、これが実際なかなか難しい)
本人が、
「私には左目以外にも麻痺していないところがある、それは想像力と記憶」
と言ったように
まだもっている残存能力(長所)を活かしたアプローチを
あの言語聴覚士はしていました。
それもかなり根気強く………。

感動したり興奮したりする映画ではなく
考えさせられる映画です(少なくとも私の場合は…)
ぜひご覧を。
(ミリオンダラー・ベイビーという映画も必見、
またクリント・イーストウッドの映画ですが、
最後の最後のクリントの決断は泣きました、
なぜここで追記したのか、
なぜ最後の決断が泣けたかは、
その理由を知りたい方、
これもぜひ見てもらえればと思います。)
posted by リハ技師 at 18:14| 山形 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月11日

グラン・トリノ

久しぶりに映画の紹介。
グラン・トリノです。
クリントイーストウッド監督・主演の映画です。
早速ストーリーを紹介しましょう。

パイプオルガンが鳴り響く教会からこの映画の舞台が始まります、
クリントイーストウッドが演じるウォルトは、
妻の葬式に苦虫をかみつぶしたような表情で立ち続けています、
そこに孫もくるのですが、
私から見ても葬式にくるような服装ではないので、
その孫を睨みながらますます表情は険しいものにちっ(怒った顔)なっていきます、
参列した息子2人の会話で親子関係はよくない事がわかってきます。
その後家で身内や参列客に食事をふるまうのですが、
そこで気を許せるのは犬のデイジーだけなのです。

ウォルトはフォードで車を作っていた職人、
ベトナム戦争で10人以上の若者を殺していて、
その事をいつまでも悔いています。
一人の孫は車庫にあるウォルトの車(グラン・トリノ)をみて、
「お爺ちゃんが死んだらこれをどうするの」と自分が欲しいことを言い出す始末。

その時に隣にアジア系の家族が引っ越してきます。
その中にタオという少年が出てきます、
少年は親戚の不良グループから目をつけられ、
隣の家・ウォルトの車を盗むように言われます。
そして夜にタオは盗みに行くのですが、
ウォルトから気付かれ逃げ帰ることになります。
タオは思い直し不良グループから離れようとしますが、
不良グループはそれを認めずタオの家でもみ合いになってしまいます。
そのもみあいが隣のクラントの家にまでおよび、
クラントは自分の庭に被害が出た事で怒り、
不良グループを銃で脅かし追っ払うのです。
その後もタオの家族と少しずつ距離は縮まり、
タオの住む隣の家の食事会まで行くようになります。
そして身内より、
タオの家族の方に愛着を感じるようになっていきます。

タオの家族はタオがクラントの家に忍び込み車を盗もうとしたことから、
タオをクラントのところで償いをさせると言い張り、
クラントもタオの家族に圧倒されて渋々了承してしまいます。
クラントは近所に住むアジア系の家の補修をタオに命じます。
きちんとタオは言われた仕事をまじめにこなし
父親がいないタオはクラントを人生の師とまで仰ぐようになります。
クラントもこの少年を育てることが最後の仕事だと思い対応していきます。

その働かせている途中、
クラントは血を吐くなどの体調不良があり医者にかかります。
(映画では明確にはセリフとしてはでていませんでしたが、
もう長くないと診断されたようでした)

その間タオは少しずつ変わりかけてきました、
何も自己主張できなかった暗い男から、
自分の意見を言える様な男へ。
クラントはタオが自分で稼げるために建設現場の仕事を紹介します、
ただそのためには男のしゃべり方を身につけなければいけないと言われます、
その実習を理容店で行うのですが、
これがかなりにやりー(長音記号2)とさせられるシーンでした。
そしてタオは建設現場で仕事をするようになります。

しかし不良少年はタオやタオの家族の命に危険パンチを及ぼすようになっていくのです。

ストーリーはここまでにしておきましょう。
最後の展開は意外でもあり、
しかし納得いくものでもありました。
おそらく多くの人は最後のクライマックスで
静かな感動が心に広がっていく映画だと思います。



この映画には老人(クリント)と少年(タオ)との交流のシーンがあります。
妻を亡くした老人が何をすることもなく、
漫然と過ごす日々。
しかしそこにタオがきて、
タオを一人前にするという人生の最後にふさわしい仕事に、
生きる喜びを感じていく。
偏狭な高齢者がいたとしても、
それはただ今までの人間関係が悪かったからかもしれません、


様々な交流を通して
人は年をとっても変わりえる、
人は年をとっても何かを成し遂げることができうる

私たちは、
そう信じることが大切ではないかと考えさせられた映画でした。

皆さんもぜひ見てください。
(クリント・イーストウッドの映画で、「チェンジリング」という映画もあります、
この映画も必見です)
posted by リハ技師 at 19:22| 山形 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする