2013年08月23日

第1回リハ総会会長講演と法人化について

リハビリテーションの歩みシリーズ、
参考・引用文献は、リハビリテーションの歩み その源流とこれから。
久しぶりのシリーズになります。

今回からは、日本リハビリテーション医学会の歩み(181〜214)のところから、
無理やりに要約するのではなく、
二か所だけ、注目した所を引用していきたいと思います。

『第1回日本リハビリテーション医学会総会は水野祥太郎初代会長のもとに1964年7月12日に大阪で行われた。会長講演は「リハビリテーション医学の地域社会における諸活動」で…』

この当時で、会長講演のタイトルに地域社会という言葉が入っていることに驚きます、
病院という小さい枠ではなく、もっと幅広い視野にたっていました。
そしてこの水野祥太郎先生は(別の本から得た情報ですが)大阪のリハビリテーションの開始は、
昭和20年、終戦で落ち込んだ傷痍軍人を勇気づけさせようとイベント列車を使った事といっています。
つまりリハビリは単に身体機能改善ではなく、
精神面や社会参加なども含めての改善を目指す事をリハビリテーションと認識しています。
単に疾患を治療する医療ではなく、生きることを支える医療として、とらえていたのです。
このようなリハの認識はこのような数多くの大先輩がいてくれたからこそ、
すそ野が広く、そして奥深い医療を形成していったと感じるのです。

この章では他にリハ総会・学術集会の発表内容の変遷や、
機関紙「リハビリテーション医学」の発刊、
そして法人化問題等が述べられます。

法人化問題ではなぜ法人が必要だったのかという説明が述べられます、
『他の日本医学会分科会と比較すれば、…中略…、社会性と公共性をとを併せ持った学会であることに、特色とまた誇りを持っている』
法人化問題以前から、
常に社会の要請に応じて開かれた組織であったこと、
そしてそれらに真摯に応えてきた実力があったことに気づかされます、
後輩である現在のリハ技師たちもそのような先輩たちが上記のように作り上げていったということを、
胸を張って大いに誇りたい、と思います。

次回は、大学におけるリハ医学の臨床・研究・研究体制の整備です。
posted by リハ技士 at 18:13| 山形 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリテーションの歩み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月08日

第二次世界大戦でのリハビリ

リハビリテーションの歩みシリーズ、
引用文献は、リハビリテーションの歩み その源流とこれから

第二次世界大戦でのリハビリ
(121〜142ページ)

また無理やり要約。

リハビリテーションの父、ハワード・ラスク、
ある陸軍航空隊病院の戦勝兵を対象に回復プログラムを作成し、成果を上げ始めます
(この時は生活不活発病の症状が多かった)、
そしてこの成果を医療総監部に報告、これが上層部の目にとまり、
陸軍航空隊回復期訓練プログラムの責任者に任命、全国でも成果を出していきます。
その後、切断や脳外傷などの身体障害、
そしてそれに伴う情緒障害がある負傷兵がいる事を知り、
軍病院とは別個の「回復期・リハビリテーション・センター」を作ります。
ラスクはそのような人達に対してどのように対応していけばいいのか、
ディーヴァーに協力依頼をします。
ディーヴァーはそのセンターで働く人達の教育に従事しました。
一方ケスラーは、切断のリハを中心とした総合的なリハビリテーション・センターを作っていきます。
1943年に結成されたバルーク委員会という組織(当時中心人物だったバルークは、有力な財界人)は、
戦後のリハビリ医学の発展のために報告書を提出、様々なリハビリプロジェクトに基金を創設します。
そのプロジェクトの中で退役軍人病院のリハは戦後、特に充実しました(次に大学病院)。
ニューヨーク大学はラスクを招請、ディーヴァーも後にラスク本人から協力要請し、一緒にまた働くこととなります。
これがのちのラスク・リハビリテーション医学研究所となっていきます。
(著書の中で様々なエピソードで興味深いものがテンコ盛りです、
興味をもった方は是非とも買うように…)

ラスク・リハビリテーション医学研究所、
身体障害治療の研究では、よく聞く研究所です、
特に高次脳機能障害分野では、
当院もこのラスク研究所の取り組みは参考にさせていただきました。
ただしラスク研究所が作成した論文を参考にしたのではなく、
ラスク研究所で患者の家族として関わった人が、まとめた本を参考にしました。
「前頭葉機能不全その先の戦略」です。
そのラスクでのスケジュールや環境は、
一般の病院では真似できない部分がある内容でしたが、
その治療理念・障害の捉え方は参考になるものでした。
例えば、
自分の高次脳機能障害の中核が何であるかを気付かせる、というリハ指針は、
ブログ管理者も高次脳機能障害をもつ人に対して、必ず意識して対応しています。

かなり話は脱線しました、

高村光太郎の名言が思い浮かびます、
「僕の前に道はない、僕の後に道はできる」
ここまでリハビリテーションの歴史をみていると、
日本においても世界においてもそのリハビリテーションの先駆者となった人が、
まさになんの手がかりもない状況で道を切り開いてきました、
その苦労たるや相当なものだったはずです。
その先駆者たちの功績を私たちは忘れてはいけません。
このブログを見ている皆さんも、その功績を忘れずに、その道を歩きながらも、
せめて少しでもその道を広げたり、
歩きやすくすることはしていくことはできるのではないでしょうか。

次回は、日本リハビリテーション学会の歩みについて、です。
posted by リハ技士 at 19:47| 山形 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリテーションの歩み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月07日

第一次世界大戦から第二次世界大戦までのリハビリ

リハビリテーションの歩みシリーズ、
引用文献は、リハビリテーションの歩み その源流とこれから。

第一次世界大戦から第二次世界大戦までのリハビリ

また無理やり要約です。
(109〜120ページ)

第一次世界大戦後、アメリカのリハビリテーション界は停滞期を迎えます。
しかし、その中で2人の医師が活躍します。
アメリカのリハビリテーション界をけん引してきた、ニュージャージーのケスラー、
そしてADLの概念を作ったニューヨークのディーバーです。
法律面では1920年には、様々な経緯がありつつも職業リハビリテーション法が成立します。
この頃に多くいたリハビリ対象疾患としてはポリオがありました、
あのルーズベルト大統領もポリオです。
(この著書、リハビリを語る時に使用できる内容が満載です、
是非とも買ってください)

この中で気になったのは、
ADLの概念を作ったディーバーです。
この著書の別のところでも指摘しているのですが、
この概念は初めて医療に「生活」の視点が入ったということで画期的だったのです。
確かに医療というと、疾病が対象という強いイメージがあります、
胃に問題があれば胃、もしくは胃に関連する臓器・組織を調べます。
しかし「生活」は現在の考え(ICF)でいけば、
普通の医療よりも、すそ野が広く、
そのためにもっと総合的に理解することが求められ、
アプローチとしては様々な職種が協働しないと成立しない医療になっています。
このような現在のリハビリテーション医療の土台を築いたのが、
ディーバーと言っても過言ではないかもしれません。

次回は第二次世界大戦中のリハビリです。
posted by リハ技士 at 19:43| 山形 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリテーションの歩み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月06日

第一次世界大戦からのリハビリテーション

リハビリテーションの歩みシリーズ、
参考・引用文献は、
リハビリテーションの歩み その源流とこれから

世界のリハビリテーションの源流
第一次世界大戦から
(同書101〜108ページ引用)
また無理やり要約。

18世紀 アンドレの機能的装具、ティッソーの治療体操。
19世紀 フレンケルの失調症に対しての運動療法、
レイモンが「機能的再教育」のために世界で初めて設立した運動療法室を作りました、
上記のような取り組みが第一次世界大戦前の源流と言えます。
最初にリハビリテーションという語がもちいられたのは1917年、
第一次世界大戦宣戦後、米陸軍軍医総監部に、
「身体再建およびリハビリテーション部門」が設けられたのです。
第一次世界大戦では、理学療法士という職種を生み出します、
戦争で傷をおった人達が再建できるようにするためでした。
最初は身体再建補助員と呼ばれ、全て女性でした。
1921年に「アメリカ女性理学療法協会」を結成、
1922年に「アメリカ理学療法協会と名称」を変更します。
作業療法は第一次世界大戦前からあり、その主流は道徳療法というものでした。
1917年に最初8人から「全国作業療法推進協会」、
1923年にアメリカ作業療法協会と名称を変更。
(興味をもった方はこの著書を是非とも買うように…)

アメリカ理学療法協会の前身が女性というのは全くの意外!!
(なおかつ体育教師の資格をもっている)
作業療法の前身が女性だけの方がイメージしやすいのですが…。
うーん、やはり体だけでなく、心も傷ついた兵士たちには、
最初は心優しく接してくれそうな女性の方が適正だと考えられていたのかもしれません。

作業療法の道徳療法、
確かブログ管理者が学生の頃は人道療法と聞きましたが、訳し方の違いでしょう。
この道徳療法の理念は人間性の尊重・回復というものでした、
この理念は作業療法の理念に生き続いています。

次回は第一次世界大戦から、第二次世界大戦の間までです。
posted by リハ技士 at 14:10| 山形 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリテーションの歩み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月02日

高齢者の時代へ、そして

リハビリテーションの歩みシリーズ。
参考・引用文献は、リハビリテーションの歩み その源流とこれから

高齢者の時代

また無理やり要約。

1950年代後半、高齢疾患、特に脳卒中が大きな問題になります。
高齢者時代の幕開けでした。
小児の分野では1960年のポリオ大流行し、その後、脳性麻痺が主流となります。
青荘年では労働災害が減り、交通戦争で頚髄損傷が増えていきます。
このように1963年のリハビリテーション医学誕生の年までに、
小児・青荘年・高齢者、全世代にわたるリハビリテーションが対象になっていきます。
また、その他に温泉リハビリテーションから、都市型リハビリテーションに移っていく時代でした。
また全然から社会問題だった国民病「肺結核」、
戦前は結核作業療法、戦後は肺理学療法が取り組まれていきます。
このような経緯から、
結核療養所に次々と理学療法・作業療法の学校が出来たのでした。
(何度も繰り返し述べていますが、
興味がある方はこの本を是非とも買うべし)

肺理学療法の歴史が以外と古いことにまず驚きました、
そして結核療養所になぜ、理学療法・作業療法を養成する学校ができたのかも、
不思議には思ってはいましたが、やっと納得しました。

さてこのような呼吸関連のリハは、
今までのリハの主流ではありませんでした。
しかし、そこから大きなものを学びました。
『「結核作業療法」はさまざまな「遺産」を残した。特に「内部疾患のリハビリテーション」という点で現在でも学ぶべきは、「負荷試験としての作業」、すなわち』「運動負荷限度の確認とその増加」ということであった。』
(同書94ページから引用)
客観的なデータに基づいて、どの程度の負荷までなら、症状が出ないかなど、
(ブログ管理者はほとんどわからないのですが)
心疾患のリハやガンリハの土台となるべき思想をこの時点で作っていきました。

次回からは、世界のリハに目を広げたいと思います。
posted by リハ技士 at 18:46| 山形 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリテーションの歩み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする