2013年08月11日

災害ケアチーム 熊本で始動

『熊本県は、災害時に高齢者や障害者ら要援護者を支援する「災害派遣福祉チーム」(DCAT:Disaster Care Assistance Team)を組織し、派遣する制度を導入した。九州・山口沖縄では県単位で初めての取り組み。民間にも協力を要請し、すでに保険師や介護士など福祉分野の専門職約500人を確保。必要に応じてチームを結成し、県内外を問わず被災地に入る。』
『DCATは、被災地で医療活動を行う災害派遣医療チーム(DMAT)の福祉版。DMATについては、1995年の阪神・淡路大震災で災害医療の重要性が指摘され、2005年に国が制度化し、熊本県など各都道府県で組織化された。だが避難所での要援護者のケアといった福祉の分野は多くの課題が残っている。
 熊本県は東日本大震災の被災地に医師や保険師を派遣。認知症患者らへの介護が不十分だったとの報告を受け、DCAT整備に着手した。民間施設でつくる県老人福祉施設協議会や県身体障害児者施設協議会などの協力を得て要員を確保した。
 まだ派遣例はないが、大規模災害時に必要な数の専門チーム(1チーム4〜6人)を県の判断で送り込む。県に所属する医師や保険師、民間の社会福祉士、理学療法士、介護士らを組み合わせる。
被災地にはまず先遣隊を入れ、被災状況やニーズを把握する。その後、支援隊が現地入りし、介助やリハビリ、健康相談といった福祉サービスを担うという構想だ。実際の活動費は県が負担する。民間施設側の人件費は、災害救助法が適用されれば公費で賄われる。今年度は研修などのために約140万円の予算を計上している。』
{上記2点 読売新聞(北九州)・夕刊 2013年6月5日 記事引用}

高齢者、障害をもつ人など体や心に不自由さを示す人は、
被災後、例えきちんとした医療を受けられたとしても、
不適切な介護から体が弱くなったり、心の問題を起こしたりしました。
福祉分野は医療と同様、被災地に早くから入って、
そのニーズの把握と対応に努めることが重要なのです。

本来、そのような人達が健康に暮らせるためには、
医療・福祉・そして行政が密接に連携していかなければいけません。
しかし、医療にはDMATのような仕組みはありつつも、福祉にはありませんでした。
今回このようなDCATを熊本県での初めての取り組み、
歓迎すべき話しであり、当然この体制作りには異論はないものの、
本来はこれは国が主導して決めるものではないでしょうか。
いつ、どこでまた震災が起きるのかはわかりません、
国として、その備えを明確にするために全国的な組織にしていく必要があるように思われます。
確か岩手県でも、このような組織を全国に展開すべきだと言う報告書を知事宛てに提出したと聞いています。

もしかしたら、もう具体的にこの話は動いているのでしょうか。
迅速に決めてもらいたい、そう思います。
posted by リハ技士 at 18:51| 山形 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月18日

原発事故は防げなかったのか4

原発事故はなぜ防げなかったのか、
引用文献は国会事故調査報告。

津波リスク
『政府の地震調査研究推進本部(以下「地震本部」という)は平成14(2002)年7月、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」を発表した。この中で、福島第一原発の沖合を含む日本海溝沿いで、M8クラスの津波地震が30年以内に20%程度の確率で発生すると予測した。この長期的評価は、東北地方太平洋沖地震の震源域の一部しか推定できなかったが、本事故時の高い津波はこの長期的評価だけでも予測できた。…(中略)…4号機原子炉建屋周辺は2.6mの高さで浸水すると予測された。』
これは平成14(2002)年7月に報告
『O.P.+10mの津波が到来した場合、非常用海水ポンプが機能喪失し炉心損傷に至る危険性がある事、またO.P.+14mの津波が到来した場合、建屋への浸水で電源設備が機能を失い、非常用ディーゼル発電機、外部交流電源、直流電源全てが使えなくなって全電源喪失に至る危険性があることが示された。それらの情報が、この時点で東電と保安院で共有された。』
これが平成18(2006)年5月の報告。
(上記2点、同書84ページから引用)

その他にも大きな津波が福島にくる可能性はあることや、
その事によって炉心損傷を引き起こす可能性があることが指摘されていました。
東電が当初言っていた、「想定外」は本当に想定外だったのでしょうか。

また保安院から一括ヒアリングを開いた時に、口頭指示ではありましたが、
津波で炉心損傷するリスクがあり、その対策を万全にとるように求められていました。
その口頭報告では、この報告が会長・社長に伝えられるように指示をしていたのですが、
結局は社長や会長までには伝わらなかったと同書では記載されています。
そして当然のように津波に対しての具体的な対応策は何も行われなかったのです。
電力会社は民間企業といっても、地域独占が認められた、本来は公的な民間企業だったはずです。
そうであれば地域の人達に安く、そして全域に電気を供給するという目的だけではありません。
少なくとも原発といういったん事故を起こせば、
コントロールの効かない発電設備が事故の起きないように対策を練ることも当然の仕事でした。
その最低限の事を守れなかった電力会社の問題の根は大いに深いと言わざるをえません。

また特に東電は福島で過去にどのような津波があったのか、きちんと調査すべきでした。
しかし、
『「今後の研究の進展を待ちたい」という他人任せの消極的な姿勢を続けていた』
(同書87ページから引用)
しかし文部省の委託によって東北大学などが過去に5回、大津波が来ていたことが明らかになります。
また地震学者の5人からのアンケートで、
福島では津波地震は起きないよりも、福島も含めてどこでも起きうるという判断の方が有力であったのにもかかわらず、
対策を取ると費用は莫大で、だから時期尚早ではないかと………という理由にならない理由を述べていきます。、
どちらにしても東電は震災による津波のリスクは認識していたのです、
しかしその対応はほとんど行われませんでした。

保安院も津波のリスクがあることは踏まえ、口頭で指示を出していました、
しかしこの口頭のみというのが曲者です。
そのような指示を文書では一切出していませんでした、
これでは東電もそれほど強力な指示ではないと受け取ってしまったかもしれません。
(もちろん、それで東電が悪くないという事ではありません)
posted by リハ技士 at 12:02| 山形 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月16日

原発事故は防げなかったのか3

原発事故はなぜ防げなかったのか
引用文献は国会事故調報告。

老朽化問題
『これは、地震動自体が、機器・配管の劣化に寄与しないか、という観点からの検証である。ここでは、@応用腐食割れ、A配管減肉・腐食、B低サイクル疲労割れ、C中性子照射脆化、D照射誘起型応力腐食割れ、E2相ステンレス鋼の熱時効、F電気・計装品の絶縁低下、Gコンクリートの強度低下及び遮へい能力低下の8項目の劣化が取り上げられている。
 しかし、@とAについては、40年高経年化技術評価(1号機)及び30年高経年化技術評価(2号機、3号機)において、「現状の保全活動の継続により設備健全性が維持できている事を確認済み」であるとして、それ以上の検討をしていない。さらに、EFGについては、地震発生時における経年劣化による影響は考え難いとして、これも検討対象から外した。』
(同書78ページから引用)

実質検討をしたのはBCDで、結論的にはほとんど影響ないと保安院は判断します。
またこの劣化が事故発生・拡大の要因になってはいないという報告書が出されます。
しかし検討から除外した項目は果たして問題なかったのでしょうか、
その高経年化技術評価は、それほど完璧な評価なのでしょうか。
保安院で出した報告書には、
機器などの劣化が今回の事故発生・拡大の要因には考えづらいとしつつも、
『「ただし、現時点において、現場における設備の確認を行う事が困難であるため、本報告は、過去の高経年化技術評価の結果を活用した解析等によって、経年劣化の影響を机上評価したものであり、今後、現地確認が実施される等により、新たな知見が得られた場合には、経年劣化の影響について追加的な検討を行う事が必要である」と留保を付加した。』
(同書79ページから引用)

上記の引用は、ブログ管理者はその通りだと思います。
やはり今回の事故調査を現地での様々な機器をしらみつぶしに調査しなければ、
原発における機器の劣化がどの程度、今回の原発発生・拡大に影響したのかはわからないのです。
日本国内にはどの程度古い原発(30年以上)があるのでしょうか。
少なくともそのような古い原発は動かしてはいけないでしょう。
(しかし、そもそも前回のブログで指摘したように、
設計そのものに問題があるので、どの原発を稼働しても問題ですが…)

そのような古い原発であれば、
なお一層検査を頻繁に行っていく必要があるでしょう。
しかし、
『配管のつなぎ目(溶接部)の詳細調査は、毎回の定期検査ですべての箇所に対して行われているわけではなく、再循環系配管のような検査頻度の最も高いものであっても、5年間で全体をひとわたり検査するということになっている。』
(同書79ページから引用)
えっ!!、これだけですかと耳を疑う検査状況なのです。
そして国会事故調の報告では、亀裂部位が見つかっても、
まだ使用できると評価した上でですが、その亀裂のまま運転をしていたのです。

よくも、これで安全、安全と言っていたのが、不思議です、
そして何よりもこのことが原発事故より前に明らかにならなかったのが最大の不思議です。
posted by リハ技士 at 21:13| 山形 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月15日

原発事故は防げなかったのか2

原発事故は防げなかったのか、
引用文献は、国会事故調報告。

『…、福島第一原発1〜6号機の設置が許可された当時は、安全審査のガイドラインとなるような基準等はほとんど成文化されていなかった。安全審査の一部である耐震設計方針の妥当性の評価についても同様で、個別の経験主義的な審査に委ねられていた。
 昭和53年(1978)年にようやく後述の耐震設計審査指針が策定され、平成18(2006)年にはそれが改訂されたが、それぞれの決定前に設置許可された原発に対してさかのぼって適用する。(「バックフィット」といわれる)法的仕組みは何もなかった。しかし、一応は、既設原発が新たな指針に照らしても安全かどうかを確認すること(「耐震バックチェック」といわれる)が規制当局から電力事業者に求められた。』
(同書、66ページから引用)

福島で最初に運転開始となったのは1号機で1971年のこと、
なんと7年間はなんの具体的な安全指針が何もないままの原発運転、
これでよく安全神話が作られたのかが不思議です。
そして原発に関する耐震設計基準指針策定は作られても、
それまでに作られた原発に関して、
法的にチェックする仕組みを作らなかったのは、どこかに遠慮していたのでしょうか。

『平成7(1995)年1月17日の阪神・淡路大震災によって、耐震工学に関する国民の不信感が一挙に高まり、原発も地震で損傷するのではないかという不安が増大した。また、原発に関心をもつ人々の間では、旧指針は地震科学の最新知見からみて古すぎるのではないかという疑問があったが、それが顕在化した。安全委員会は旧指針の改訂になかなか着手しなかったが、平成13(2001)年7月に耐震指針検討会(以下「分科会」という)を設置して、ようやく改訂作業を始めた。調査審議は5年以上を要し、平成18(2006)年9月19日に新たな「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」(以下「新指針」という)が安全委員会で正式に決定された。』
(同書、70ページから引用)

この新指針は格段に耐震基準を厳しくしたものではありませんでした。
実際にはマグニチュード6.8程度を想定したもの、
しかし前年の2000年には鳥取県西部地震はマグニチュート7.3でした。
(ちなみに阪神・淡路大震災もマグニチュード7.3)

『安全委員会による新指針決定の翌日、平成18(2006)年9月20日に、保安院は、原子力事業所に対し、稼働中又は建設中の発電用原子炉施設等についての新指針に照らした耐震安全性評価(以下「耐震バックチェック」という)の実施と、そのための実施計画の作成を求めた。』
『さらに保安院は、平成19(2007)年7月16日に発生した新潟県中越地震(M6.8)を受けて、可能な限り早期かつ確実に評価を完了できるよう、原子力事業者に実施計画の見直しを指示した。』
(同書71ページから引用)

しかし、この評価は問題点がありました。

『…、保安院が耐震安全性を評価した施設は、原子炉建屋のほかは、原子炉を「止める」、「冷やす」、放射性物質を「閉じ込める」に係る安全重要なSクラスの設備のうち7設備(…中略…)にすぎない。しかも、それぞれの設備の評価対象部位は限られている。対象設備が限定されている点で耐震バックチェックとしては不十分なもので、5号機全体の耐震安全性が確認されたとは到底言えない。』
『電事連及び保安院双方の担当者に改めて確認したところ、中間報告の機器の評価は中途であるため、原発施設の耐震安全性を確認できるものではないとのことであった。にもかかわらず、東電は各号機の中間報告において、耐震バックチェックにより安全上重要な建物・構築物、機器・配管系の耐震安全性が確保されていることが確認されたと喧伝し、…』
(同書72ページから引用)

こう見てくるとなぜ原発安全神話が出来ていったのか、
その一端が垣間見えてきます、
まだ東電がただそのように偽っているだけなら、まだ救いはありました、
しかし原子力安全・保安委員会はその事を把握しながら、
全て安全であるという事に手を貸しました。
以下の文章を見てください。

『…、平成22(2010)年3月29日に佐藤雄平福島知事が直嶋正行経済産業大臣(当時)を訪ね、プルサーマル実施に同意するにあたっては、必要不可欠な技術的条件の一つが耐震安全性の確認であると要望した。これを受けて保安院は、福島第一原発では代表号機として5号機の耐震バックチェック中間報告の評価が済んでいるところであるが、3号機についても特別な扱いとして東電中間報告の評価作業に着手し、同年7月26日に評価結果を公表した。しかし、5号機と同様に、扱った機器・配管系はわずか7設備であり、耐震安全性が十分確保されていると結論付けるには非常に不十分なものであった。』
(同書73ページから引用)

もう、これは詐欺としか言いようがないように思われます。
それも今では皆さんがもう知っている「原子力村」が一体となって詐欺を図ったのです。
特に原子力の安全を守らなければいけない組織、保安院の責任は重大すぎます、
保安院としての任務を放り投げたといっても過言ではないでしょう。

また東電が行った中間報告以降、
そのバックチェックでさえ、不十分だったことが開示された資料でわかってきます。
そしてバックチェック未了でも、耐震補強工事をする場所が多々あることを認識していたことが、
これもまた開示された資料からわかってきます。
しかし、なぜこれほど未了だったのでしょうか。

『東電の内部資料によれば、本事故時点における最終報告書の提出予定は平成28(2016)年1月となっており、平成18(2006)年の耐震バックチェックの指示から約10年も先である。』
(同書75ページから引用)

きちんと保安院が機能していれば、
いついつまでにこのバックチェックを行い、いついつまでに工事を行うと支持したはずです、
しかし、実際は東電の良いスピードで解決してもらえればよいという、東電主体の決め方でした、
何度も言うようですが、
保安院は、地域の人達の安全を守るという意識があまりにも弱かったと言わざるをえません。

今回の東日本震災はマグニチュート9.0、
しかしそもそも2006年に設定した耐震設計審査指針でのバックチェックでは、
評価・工事をしても耐えきれていたのかどうか…。
posted by リハ技士 at 14:23| 山形 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月14日

原発事故は防げなかったのか1

原発シリーズ、
今回は国会事故調から引用しています。

『265Galという最大加速度は、先行した敦賀原子力発電所1号機が、昭和23(1948)年福井地震(マグニチュード7.1)を考慮して最大加速度368Galの機能保持検討用地震動を考慮したのに比べると、相当低い。』
『それでも、その後の地震科学の発展、地震観測データの蓄積、耐震基準の引き上げなどに応じて耐震安全性の見直しと耐震補強を自発的に迅速に行えばよかったのだが…中略…、最低限の改善すら怠っていた。』

原発安全神話の時に、
ある大物芸能人が原発のことを持ち上げて、こう話しています。

原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。でも、新しい技術に対しては『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年のほうがマスコミ的にはウケがいい。

2010年、新潮45という雑誌に原子力委員会の委員である東大教授と対談した中での発言です。
安全神話を語る上で代表的な発言でしょう。

しかし少なくとも福島の原発では、
国会事故調の報告を見れば、
先行した原発より耐震性は低く見積もり、
なおかつ、その後に分かってきた様々な科学的な事を、
何も安全には活かさなかったことが伺えます。


『福島第一原発一号機は、米国最大の重電機メーカーであるゼネラル・エレクトリック社(以下「GE社」という)が開発したBWRを、着工から運転開始までGE社に全責任を負わせる「ターンキー方式」で東電が契約(昭和41年<1966>年12月8日)したものである。GE社が始めたこの方式は国際的に注目され、スペインのサンタマリア・デ・ガローニャ原発(以下「スペイン炉」という)を受注していた。ヒアリングによれば、東電がGE社に決めた大きな理由は、これらの実績だけでなく、スペイン炉と同じ設計のものを採用すれば設計図や製造図面が活用できて安いという経済性もあったという。』
『また、当然のことながら耐震設計基準がスペイン用の原設計比べて厳しいために、機器の支持構造物の補強が各所で必要になった。』
『日本側の当時の耐震設計の仕様がGE社のパッケージ商品に適切に組み込まれたのかということが大きな問題だが、池亀氏が記すところでは、GE社の設計には正しく入っておらず、建設中にその場しのぎで補強したことを示唆している。』

もともとこの福島原発を建設した時に、
なんとその場しのぎで補強していたという事実、
そしてところどころGE社の設計ではうまくいかず、設計変更したところもありました。
もちろん、知恵を絞って、様々な改修はしてきたとは思われます、
しかし、スタート地点からこのようなつぎはぎの建築物では、
地震に対する脆弱性はあったでしょう、
それに付け加えて冒頭の地震に対する最新知見を何も取り入れなかったことは、
今回の原発事故に大きくつながっていったように思われます。
posted by リハ技士 at 18:34| 山形 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする