2014年03月18日

原発再稼働推進の疑義W 原子炉全滅

原発再稼働推進の疑義W
ネタ本は、NEWTON 4月号
特集「災厄 福島原発1000日ドキュメント」
PART1の過酷事故の連鎖
(参考文献として、国会事故調報告と脱原発論)

原子炉全滅

【3月14日20時ごろにはようやく、1〜3号機で原子炉(圧力容器)へ継続的に注水する体制がととのった。消防車を使って、海から直接海水をくみ上げて注水しはじめたのだ。圧力容器内の圧力が高いうちは、消防車の水圧では注水がむずかしかった。皮肉にも、圧力容器が破壊されたことで圧力が下がり、注水が可能になったのである。
 結局、地震発生から4日後には、1〜3号機の原子炉内部にあった核燃料は溶け落ち、圧力容器と格納容器は破損するという悲惨な状態になった。原子炉の密閉性は失われ、安全に閉じ込めておけるはずだった放射性物質は、原子炉の外へ大量に放出されてしまった。
 3月15日ごろから、使用済み核燃料プールへの注水が新たな課題として加わった。核分裂反応を停止させてから時間がたった使用済み核燃料も、反応を停止した直後核燃料ほどではないものの、熱(崩壊熱)を発し続けているからだ。】
(NEWTON 4月号 48ページから引用)

1号機と3号機はメルトダウンと水素爆発、2号機はメルトダウン、4号機は水素爆発。
4つの原子炉が全て損傷するという、チェルノブイリ級の事故となってしまいました。
(チェルノブイリ級と書くと、それは言い過ぎだと批判する人をよくある掲示板などで見かけます、
確かにチェルノブイリ原発事故は長期にわたって火災が続いたため、
福島第一原発はチェルノブイリ原発放射性物質量の10数%、
汚染範囲もチェルノブイリと比べればかなり狭くはなっていますが、
長期間住めない地域・高濃度の汚染地域が出来たということは、
まぎれもない共通することです、
このことで避難住民が帰れない状態になったのは、
チェルノブイリ原発と福島第一原発だけなのです。
そうであればチェルノブイリ級と言って何が悪いのか、
そのような批判をする人の批判の意図が全くわかりません)

今回は、簡単にこの程度で…。

次回は少し飛ばして、地震発生から22日後の
汚染水が流出 を紹介します。
posted by リハ技士 at 19:51| 山形 | Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月17日

原発再稼働推進の疑義W 放射性物質の拡散

原発再稼働推進の疑義W
ネタ本は、NEWTON 4月号
特集「災厄 福島原発1000日ドキュメント」
PART1の過酷事故の連鎖
(参考文献として、国会事故調報告と脱原発論)

放射性物質の拡散

【地震発生から80時間以上が経過し、日付が3月15日に変わるころ、2号機の格納容器の圧力は設計上の限界(約5気圧)を大きく上回る高い値(約7気圧)で推移していた。2号機の格納容器は、いつ大きな破壊がおきてもおかしくない状態にあった。そんな状態でむかえた朝6時10分。1・2号機の中央制御室で大きな爆発音が聞こえた。これは2号機の爆発ではなく、4号機の原子炉建屋で起きた水素爆発の音だった。4号機の原子炉には水素の発生源となる核燃料は入っていなかった。どうやら3号機で発生した水素が、4号機の原子炉建屋に流入して爆発したようなのだ。
 3月15日9時には、福島第一原発の正門付近で、1時間当たり約12000マイクロシーベルト(=12ミリシーベルト)という高い放射線が計測された。これは正門付近における事故発生以来の最高値である。もしこの放射線量を浴びつづけた場合、国際放射線防護委員会が定める平常時の年間被曝線量の限度(1ミリシーベルト)をわずか5分で超えてしまうほどの高い放射線量である。
 このとき多量の放射性物質の主な放出源は、2号機だったと考えられている。この日の7時20分から11時25分の間に、2号機の格納容器が大きくこわれ、内部にあった放射性物質が外部に漏えいした可能性が高い。】
(NEWTON 4月号 46〜47ページから引用)

4号機の爆発、
これは引用された文にもあるように、
3号機に発生した水素が4号機へ逆流したものと考えられています。
しかし、逆流した水素のみで爆発まで本当に至るのかはまだわかっていません。

またこの4号機の爆発、
このことで日本にいるアメリカ政府は事故地点から50マイル(約80q)圏内から脱出せよと呼び掛けました。
それは4号機に使用済み燃料プールがあったからです。
そこには原子炉に入る燃料の2.8倍にもなる1535本の燃料棒が入っていました、
しかもそのうち、204本は使用済みでない新燃料でした。
プールに十分な水が入っていることが確認されたことで、安心したのですが…。
もし、これが水で冷やせなくなり、メルトダウンを起こし、爆発まで至れば、
大気圏内で行われた核実験全てに匹敵する放射性物質が放出されてしまうところでした。
そしてそうなれば、原発敷地内にはもう作業員はいられなくなります(そこにいるだけで確実に死ぬレベルになります)、
そうなれば1〜3号機を冷却して、なんとか抑えている原発も放棄するしかなくなります。
そしてその後は冷やせなくなることで猛烈な火災が起き、
第一原発の1〜4号の原発が全て爆発を起こしてしまいます、
そしてそれにはもう避難するという道しか残っていない状況にまで、なりえたのです。
そうなればブログ管理者の住んでいる山形は当然としても、
おそらく日本の半分は住めなくなる状況もあったのです。

そして問題なのは、3月15日に広範に放射性物質が拡散、
その日に屋内退避(事故地点から20〜30q圏内)は指示したものの、
自主避難要請は3月25日、
計画的避難区域に指定されたのは1カ月後の4月22日にもなっていました。
このような避難は初動が大切なのにもかかわらず………。
これも、やはりこのような事故を全く想定しなかった政府・電力会社の怠慢が引き起こしたのです。

次回は、原子炉全滅 です。
posted by リハ技士 at 19:35| 山形 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月14日

原発再稼働推進の疑義W メルトダウン続発

原発再稼働推進の疑義W
ネタ本は、NEWTON 4月号
特集「災厄 福島原発1000日ドキュメント」
PART1の過酷事故の連鎖
(参考文献として、国会事故調報告)

今回は、メルトダウン続発です。

【3月13日42分、中央制御室の運転員が3号機の冷却装置(高圧系注水系、HPCI)を停止させた。別の冷却手段を試みるためだったが、それはうまくいかなかつったそこでHCPIの再起動を試みるも失敗し、地震発生から約36時間後にして、3号機は冷却手段を失ってしまう。その後、3号機の圧力容器の圧力は急上昇する。
 9時8分、3号機の圧力容器内で高まっていた圧力が急降下する。3号機は直流電源がまだ残っていたため、自動で安全装置がはたらいたのだ。六つの逃し安全弁(SR弁)がいっせいに開き、圧力容器内の蒸気が格納容器へ放出された。つづいて9時20分には3号機でベントが行われ、格納容器の圧力抑制室の蒸気が大気中に放出された。
 9時25分からは、消防車による圧力容器への注水も、その多くが途中で分岐した配管からもれてしまい、原子炉にはわずかな水しか届かなかった可能性が高いという。SAMPSONの解析では、10時35分ごろには3号機の核燃料が溶けはじめた(メルトダウン)と推定されている。
 その後、3号機原子炉建屋で水素爆発の危険性が高まったため、運転員は2度にわたり免震重要棟へ一時避難した。ところが運転員が中央制御室へもどっていた3月14日11時1分、3号機原子炉建屋で水素爆発が起きる。
3月14日13時25分、津波襲来時から3日間動きつづけていた2号機の冷却装置(原子炉隔離時冷却系、RCIC)が停止した。停止の原因は不明だ。今度は2号機の冷却装置が失われたのである。
 19時57分には、2号機に海水注入がはじまった。しかし、3号機と同じく途中の配管からもれて、効果的に注水できなかった可能性があるという。SAMPSONの解析では、20時25分ごろに2号機の核燃料が溶けはじめた(メルトダウン)と推定されている。】
(NEWTON4月号44ページから引用)

まず3号機の場合、直流電流がいきていました、
直流電源がある間に適切な対応をすれば、3号機は爆発はしなかったというものです。
しかし、1号機、2号機の対応、災害援助の要請、交通網の問題等、
もう対応できる状態ではありませんでした。
そして前回述べたように、このような過酷事故の訓練は全く受けていませんでした。
(そもそも過酷事故の対応マニュアルが全く不十分)

ただ問題なのは、3号機は水素爆発なのか、ということです。
これには国会事故調は異論を唱えています。
コリウムコンクリート反応というものが絡んでいるのではないか、というものでした。
根拠はいろいろ挙げられているのですが、あまりにもその内容が専門的で難しかったので割愛します、
しかしこの反応があるということは何を意味するのでしょうか。
それはかなり原子炉が損傷(+メルトスルー)していた証のようでした。
これもどうであったのかは実地調査しかありません。

2号機は当初は一番危険だとされていた原発でした、
しかしRCICにより奇蹟的に冷却されていました、
しかし3日間動き続けていたRCICが停止した理由も謎になっています。
結局爆発はしませんでしたが、
しかし2号機原子炉からの放射量が、
福島第一原発から放出された全放射線量のかなり大きな部分を占めています、

次回は、放射湯性物質の拡散 です。
posted by リハ技士 at 19:48| 山形 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

原発再稼働推進の疑義W 水素爆発

原発再稼働推進の疑義W
ネタ本は、NEWTON 4月号
特集「災厄 福島原発1000日ドキュメント」
PART1の過酷事故の連鎖
(参考文献として、国会事故調報告)

水素爆発

【地震発生から13時間以上がたった3月12日4時ごろ、1号機の原子炉を冷却するために、消防車を使って1号機原子炉への注水が試みられた。タービン建屋から原子炉圧力容器へとつながる配管に消防車をつなぎ、消防車のタンクや防火水槽の中にあった淡水を送り込んだのだ。
 ただし当初は原子炉内の圧力が高く、消防車の水圧では、原子炉内に注水できなかった可能性が高いという。実質的に注水できたのは、5時46分以降だと考えられている。
 9時15分、1号機で「ベント」の準備が開始された。ベントとは、原子炉内の蒸気を待機中に放出することである。このころ1号機では、圧力容器から格納容器に溶け落ちた核燃料が大量の水蒸気を発生させており、格納容器の圧力抑制室の圧力はいつ大きな破壊がおきてもおかしくないほどに高まっていた。それをさけるために圧力抑制室の蒸気を、ベントで大気中に逃がそうとしたのだ。
 ベントの準備に手間どったものの、14時30分にようやく1号機でベントが成功した。これにより、格納容器の圧力が下がった。一方で、蒸気ともに、原子炉内の放射性物質の一部が大気中へ放出されてしまった。
 15時36分、大きな衝撃が中央制御室をゆるがす。1号機の原子炉建屋で爆発がおきたのだ。原子炉内で発生した水素がケーブルの貫通部分などから外にもれだし、建屋内に充満したあと、爆発がおきたと考えられている。………(中略)………。
 水素爆発で飛んできたがれきによって破損した消防車のホースを引きなおし、19時4分、1号機圧力容器への海水注入がはじまった。】
(NEWTON4月号 42ページから引用)

前回のメルトダウンで書き忘れましたが、
メルトダウンがいつ始まったのか、その量は、などまだまだ不明な点は多いことは事実です。
やはり実地調査をしない限り、原発事故がどのように起きたのかは明確になりません。
(このような事故の対策をたてる上で、
その事故がどのようなプロセスで起きたのかという情報は基本であり、なくてはならないものです)

では本題に入りましょう。(短いのですが…)
なぜ原子炉から水素が漏れ出したのか、ということです。
水素はちょっとしたことで燃えてしまう怖い元素です、
原子炉は全交流電源喪失により冷やすことが出来なくなり、
その影響で炉心損傷が起きてしまい、その損傷部分から水素が漏れ出したと東電は述べています。
IC(非常用復水器)からでたのではないかという説もあります(こちらの方が説得力あり)
ICが地震で破損、そこから水素が漏れたとなると、
津波が仮になくても水素爆発は起きていたことになります。
まぁ、どちらにしても水素が漏れたのかさえもまだ分かっていません。
何度もしつこいのですが、実地調査などで検証するしかないのです。

次回は、メルトダウン続発 です。
posted by リハ技士 at 18:43| 山形 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

原発再稼働推進の疑義W メルトダウン

原発再稼働推進の疑義W
ネタ本は、NEWTON 4月号
特集「災厄 福島原発1000日ドキュメント」
PART1の過酷事故の連鎖
(参考文献として、国会事故調報告)

メルトダウン

【全電源喪失により、1、2号機の中央制御室では、原子炉の圧力容器内の圧力や水位が確認できなくなった。ところが16時42分になり、原因は不明だが1号機の圧力容器の水位計が表示できるようになった。
 1号機圧力容器の水位が急速に低下していることが判明した。高温になった核燃料は水を蒸発させる。発生した水蒸気で圧力容器内の圧力が高まると、逃し安全弁(SR弁)が自動で開き、水蒸気は格納容器の圧力抑制室に放出される。つまり圧力容器内の水は、水蒸気となって格納容器に出ていくため、水位はどんどん低下していくのだ。
 17時50分、1号機の原子炉建屋入り口付近で高い放射線が観察された。これは圧力容器内の水位が低下し、核燃料の上端が水面の上に露出した可能性が高いことを示している。水は核燃料を冷やすはたらき(冷却材)に加えて、核燃料が放つ放射線をさえぎるはたらき(遮蔽材)がある。核燃料のまわりに水がなくなると、放射線(ガンマ線)が圧力容器を突き抜けて外に出てくるのだ。
 政府の事故調査・検証委員会などによる検証では、1号機の冷却装置である非常用復水器(IC)は、津波で全電源を喪失したときに途中の配管の弁が閉じ、以降はほとんど機能していなかったと考えられている。ところが当時の現場では、ICが停止したとは認識されておらず、IC以外の冷却手段を試みるなどの有効な対策がとられなかった。
 水がない”空でき状態”の圧力容器の中で、ついに核燃料が溶けはじめる(メルトダウン)。………(中略)………。溶けた核燃料は圧力容器の底にたまる。22時11分には溶けた核燃料は圧力容器の底を抜けて、格納器へ落下しはじめたと推定されている】
(NEWTON4月号 40ページから引用)

東電も含めて電力会社(+国)は、原発の安全神話を作り上げてきました。
このことでこのような事故にあたってのシミュレーションはほとんど行われていませんでした。
そう考えると、その場で必死に原発内で働いていた人たちを当然批判することはできません。

このような過酷事故を想定しなかったことの具体的な現れとして…。
東電では事故発生運転手順書というものがありました。
しかし、その事故では電源があることが前提となっていたため、
その手順書が生かされることはありませんでした。
またその手順書においても当直長、当直副長の机上訓練のみで運転訓練は行われなかったのです。
ICにいたっては、その訓練シミュレーターに記載さえもされていない状態でした。
保安院も東電の報告を確認しただけで、全く指導などはしていない状態でした。
(なんのための保安院なのでしょう)

そして上記に付け加えて体制的にも不備でした。
原子炉等規制法では、原子炉の運転保安を監督するために、
炉ごとに原子炉主任技術者の配置義務があったのですが、
実際には原子炉主任技術者が複数の炉を担当(1〜4号機にいたっては1人の技術者)、
もちろん、その技術者は過酷事故の特別な訓練は受けていませんでした。

では世界的にみて、このような全電源交流喪失を想定した対策はどうだったのでしょうか。
少なくともフランスでは国が規制し、管理する対策を出していました。
アメリカも新設炉に限ってですが、規制しています。
日本は電力会社の自主対策という形でした、
つまりなんの規制もかからなかった事で、安全に対して穴だらけの対策になっていたのです。
(外国では当然のテロに関しても、全く日本では対策はとられてこなかったのです)

次回は、水素爆発 です。
posted by リハ技士 at 11:54| 山形 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 震災・原発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする