2013年08月08日

第二次世界大戦でのリハビリ

リハビリテーションの歩みシリーズ、
引用文献は、リハビリテーションの歩み その源流とこれから

第二次世界大戦でのリハビリ
(121〜142ページ)

また無理やり要約。

リハビリテーションの父、ハワード・ラスク、
ある陸軍航空隊病院の戦勝兵を対象に回復プログラムを作成し、成果を上げ始めます
(この時は生活不活発病の症状が多かった)、
そしてこの成果を医療総監部に報告、これが上層部の目にとまり、
陸軍航空隊回復期訓練プログラムの責任者に任命、全国でも成果を出していきます。
その後、切断や脳外傷などの身体障害、
そしてそれに伴う情緒障害がある負傷兵がいる事を知り、
軍病院とは別個の「回復期・リハビリテーション・センター」を作ります。
ラスクはそのような人達に対してどのように対応していけばいいのか、
ディーヴァーに協力依頼をします。
ディーヴァーはそのセンターで働く人達の教育に従事しました。
一方ケスラーは、切断のリハを中心とした総合的なリハビリテーション・センターを作っていきます。
1943年に結成されたバルーク委員会という組織(当時中心人物だったバルークは、有力な財界人)は、
戦後のリハビリ医学の発展のために報告書を提出、様々なリハビリプロジェクトに基金を創設します。
そのプロジェクトの中で退役軍人病院のリハは戦後、特に充実しました(次に大学病院)。
ニューヨーク大学はラスクを招請、ディーヴァーも後にラスク本人から協力要請し、一緒にまた働くこととなります。
これがのちのラスク・リハビリテーション医学研究所となっていきます。
(著書の中で様々なエピソードで興味深いものがテンコ盛りです、
興味をもった方は是非とも買うように…)

ラスク・リハビリテーション医学研究所、
身体障害治療の研究では、よく聞く研究所です、
特に高次脳機能障害分野では、
当院もこのラスク研究所の取り組みは参考にさせていただきました。
ただしラスク研究所が作成した論文を参考にしたのではなく、
ラスク研究所で患者の家族として関わった人が、まとめた本を参考にしました。
「前頭葉機能不全その先の戦略」です。
そのラスクでのスケジュールや環境は、
一般の病院では真似できない部分がある内容でしたが、
その治療理念・障害の捉え方は参考になるものでした。
例えば、
自分の高次脳機能障害の中核が何であるかを気付かせる、というリハ指針は、
ブログ管理者も高次脳機能障害をもつ人に対して、必ず意識して対応しています。

かなり話は脱線しました、

高村光太郎の名言が思い浮かびます、
「僕の前に道はない、僕の後に道はできる」
ここまでリハビリテーションの歴史をみていると、
日本においても世界においてもそのリハビリテーションの先駆者となった人が、
まさになんの手がかりもない状況で道を切り開いてきました、
その苦労たるや相当なものだったはずです。
その先駆者たちの功績を私たちは忘れてはいけません。
このブログを見ている皆さんも、その功績を忘れずに、その道を歩きながらも、
せめて少しでもその道を広げたり、
歩きやすくすることはしていくことはできるのではないでしょうか。

次回は、日本リハビリテーション学会の歩みについて、です。
posted by リハ技士 at 19:47| 山形 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリテーションの歩み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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