2019年12月09日

中村哲氏 死去

先週、中村哲さんが亡くなりました。

先週末は、このニュースが各番組で取り上げられていましたね。

当ブログは2016年に中村さんを取り上げています。

その2016年にETV特集で「武器ではなく、命の水を」という番組に、

中村さんが中心人物としてでていました。

その時のETV特集のホームページから、この番組の概要を引用しましょう。


【戦乱と干ばつが続くアフガニスタン。この地で干ばつと闘い続けてきた医師・中村哲(69)。始めたのは用水路の建設。渇いた大地に再び緑を取り戻すまでの15年の記録です。

アメリカ同時多発テロから15年。今も戦乱の続くアフガニスタンで干ばつと闘う日本人がいる。医師・中村哲(69)。「武器や戦車では解決しない。農業復活こそがアフガン復興の礎だ」。中村は白衣を脱ぎ、用水路の建設に乗り出した。15年たったいま、干ばつの大地には緑がよみがえり、人々の平穏な営みが再び始まろうとしている。戦乱の地アフガニスタンに必要な支援とは何か。15年にわたる中村の不屈の歩みを通して考える。】


今でも中村氏の言葉が忘れられません、

10人の医師よりも1本の用水路の方が命を救える」

アフガンでは基本的な生活さえままならない状態で、

非常に不衛生であり、なおかつ食えずにやせ細った人たちがたくさんいます。

それは2001年の同時多発テロでアフガンがテロの温床として名指しされました、

そしてアメリカから空爆などで被害を受けたことが、貧困状態を更に加速させ、

数多くが難民状態になったのです。


実際に中村氏は白衣を脱いで、農業ができるように、砂漠化していた土地に水をひく事業を行います、

しかしほとんど素人集団での事業でした。

様々な苦難を乗り越えながらも、

全面砂漠化していた土地を地平線まで緑地化した映像は圧倒的で、胸にこみあげるものがあったことを記憶しています。


中村氏は番組最後に土木作業など、

今まで中村氏が行ってきた事業を本にまとめ、

後世の人たちが自分たちの手で事業ができるように対応していました。

この番組の時点で用水路事業ではアフガン全体の2%しかできておらず、

中村氏が生きている間はアフガン全体をくまなく農業ができる土地にするのには、まだまだ時間が30年、40年かかるだろう、

中村氏は、そのころには、私はいない、ということで、引き継ぐ全てを作成していたのです。


中村氏が亡くなったのは、非常に残念なことです、

しかし中村氏の想いは、すでに形になり、そして引き継ぐすべはアフガンの人たちに、

もうあるのではないでしょうか。

もちろんまだまだ他の人たちの国の助けがないと大変な状況ではあるでしょう。

しかし少なくとも一部のアフガンの人に、

私たちで生きていけるという「誇り」を与えた、ということだけは間違いないでしょう。


中村氏の冥福を祈りたいと思います。

posted by リハ技士 at 16:53| 山形 ☀| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする